由良姫神社
由緒 祭神 由良比女命 例祭 7月28日 特殊祭 神帰祭(かみがえりさい)11月29日 由緒
平安朝末期に隠岐国の一宮と定められましたが、以後徳川時代の中頃まで衰微してい ました。寛文七年(一六六七)松江藩士斎藤豊宣の隠州視聴合記に「由良明神と号す る小社あり極めて小さく古りはてて亡きが如し」とあり、元禄九年(一六九六)一国 一宮に詣でし橘三喜、都々美一光もその衰微を慨き神光あらわれることを願い、都々 美一光は おきつ風吹きつたへなむ由良姫の御籬によする浪のしらゆふ と詠って去 りました。慶長一二年、元禄五年に本社建立をしていることは里人もかなり努力した と思われますが、衰微の原因として武士の時代になると遠流の地隠岐の国は、覇権を 奪るには不要な土地であり、造船、航海術の進歩は九州拠点となり、隠岐の神々の加 護を必要としませんでした。また、田畑の少ない浦郷では、天災による影響も大きか ったことが神社衰微の原因と推測されます。 安永二年(一七七三)島前一三ヶ村の庄屋が集まり、御旅祭の再興を相談しているこ とは島前に於ける当社の位置を示しています。 明治五年郷社に列し、二十二年精巧な本殿を改築し、昭和六年拝殿改築、境内地を整 備して神域を整え、昭和五十年島根県特別神社神社に指定されました。 |
玉若酢命神社
玉若酢命を主祭神とし、大国主命、須佐之男命ほか二柱の姫神を配祀、勧請年代は詳 らかでないが、式内社に列せられた古社である。 水若酢命と共に本島を開拓した隠岐の二祖神であると伝えられている。また神社名を 総社と俗に称している。かつての隠岐国府の所在地で、明治初年頃まではこの地を総 社村といった。これは王朝時代、国司が当国の総社として祭祀を執行した由緒による ものである。 |
水若酢神社
由緒書き 主祭神 水若酢命 配神 鈴御前・中言神 神紋 菊 例祭日 5月3日 特殊神事 水若酢神社祭礼風流(県指定無形文化財 隔年毎偶数年斎行) 由緒 御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ国 土開発・北方防備の任に就かれた神と伝えられている。当社は昔火災・水害の難にあ い、古文書・社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが、延喜式神名帳に 「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神・隠岐一 宮」と記されている古社である。鎮座年代は僅かに残っている古文書には、仁徳天皇 又旧記には、崇神天皇の御代とあって古来五穀豊穣、海島守護・航海安全の神として 朝野の崇敬篤く、明治4年国幣中社に列せられた神社である。 |
伊勢命神社
由緒書き 御祭神を伊勢命と申し、創立年代は不明なるも社伝によれば一夜神光海上より輝き来 り字仮屋の地に止まり以来夜々出現止まず。偶々神託蒙る者あり、以って伊勢明神を 奉斎せしより神火の出現はじめてやみたりと、この地は西北風強烈なるためまもなく 田代川の対岸の浄地、現社地に移転せりと伝う。『続日本後記』に仁明天皇嘉祥元年 名神の列に預りし趣、明記せられ延喜の制に於ては、名神大に列せられたる由、明か なり。明治五年郷社せらる。 |