熊野三柱神社
鳥居
以降の写真はそまさんご提供
交通案内
近鉄大阪線 大和高田 北へ30分 南郷 庄之垣内 its-mo
祭神
日鉾命
伊太邪曽神
日前神
もしくは 伊太祁曽神、熊野速玉神、素戔嗚命
拝殿
由緒
創建年代は不詳。伊太邪曽神は伊太祁曽神の事、五十猛命である。
日前神は日前国懸神宮の二神の神の一柱。また日鉾命も国懸神宮の御神体ともされるのであるが、出石神社におさまった天日矛命ともとれる。
この三神が熊野の三神ととなえているような神社名である。神々からは紀の国の神々を指しているようだ。
また半島との関係も強く感じられる。天日矛の新羅、五十猛命の曽尸茂梨は伝承がある。日前(桧前、桧隈)は紀氏に関わり、これは半島の騎馬民族の流れを想記せしめる。三柱は全て渡来系の神々とも言え、熊野と半島との古来よりのつながりを思わせる。
大和の葛城方面は紀の川の上流につながり、また紀氏の一族である武内宿彌に発する蘇我氏や平群氏の居住地にも近い。
『広陵町史』によると、江戸時代初期に「記三社」の存在が伝えられており、記三上神社もしくは当社が後裔社だろう。
お姿
神社のある地域一帯は広々とした農業地域で、麦作も行われている。二上山がくっきりと見え、葛城金剛の山系、畝傍、耳成、三輪山等も、大和平野の霞の中にうっすらと見える。
本殿
お祭
10月16日 秋祭
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