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 武蔵の五十猛命 東京編

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東京都 北区豊島  紀州神社

中央区日本橋  椙森神社

杉並区 堀ノ内  熊野神社(堀ノ内)

杉並区 成田西  熊野神社(尾崎)

渋谷区神宮前  青山熊野神社

町田市三輪  椙山神社

府中市 大国魂神社

奥多摩町  熊野神社




 紀州神社
東京都北区豊島7丁目−15−5  ゼンリン



交通案内
地下鉄王子神谷下車東へ800m、王子駅から循環バス紀州神社前  

拝殿 写真ご提供 なかひらまい様

祭神
大屋津姫命、五十猛命、抓津姫命

地元では氏神様として、よく人々がお参りしている。
祝詞が正面に書いてくれている。
祓え給え ハラエタマエ
清め給え キヨメタマエ
神ながら カムナガラ
奇しみたま クシミタマ
幸え給え サキワエタマエ

由緒 神社本本庁発行の平成祭りデータ(CDーrom)から

 縁起によりますると、元享年中後醍醐帝の御宇、紀州名草郡五十太祁神社を、豊島景村左近大夫従五位下若一王子に勧請す是れ当社なり。

 新篇武蔵風土記に曰く、紀州明神は豊島の鎮守なり。紀伊国熊野穂積二郎左ヱ門重尚、王子村に来り、豊島左ヱ門清光と相謀り、紀伊国名草郡五村王子村に勧請し紀州明神と称す是れ当社なり。其の後天正中王子村り、己が村の鎮守神を他村に置くは本意ならずと小名宮の前に引移せしが後当社地に移す。

 御祭神は樹木に功績のあります神で、紀伊の国に至り樹木を植え所謂木の国の名所となりました。


お姿
 境内はこざっぱりしている。家の庭のような雰囲気での木々が生えている。大きい木はない。




お祭
例大祭 9月下旬 土曜日

本殿 写真ご提供 なかひらまい様


 椙森神社
東京都中央区日本橋掘留町1−10−2 ゼンリン


交通案内
JR総武線小伝馬町 南 5分  

祭神
倉稻魂大神、素盞嗚大神、大市姫大神、大己貴大神
五十猛神、抓津姫神、大屋姫神、事八十神
由緒 

 創建は一千年の昔、武蔵野が原野であった頃と伝えられている。
 特に、天慶三年(940年)田原藤太秀郷が平将門を追討せんとして、当社に詣で、戦勝を祈願、 神助によって、強敵を亡ぼす事ができたとして、常に尊心していた白銀の狐像を奉納、これは現存すると言う。

 江戸時代には、江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、また商業の地として栄えた土地がら、晴天十日間の花相撲、更には、富興行等も、数多く行われ三富の一つにも数えられる程であった。

他の江戸三森
柳森神社 「宇迦之御魂神」千代田区神田須田町2ー25
烏森神社「倉稻魂命、天鈿女命、瓊瓊杵尊」港区新橋2ー15ー5

お姿

 都心の神社で、社地は狭い。その上、境内には、御輿倉、社務所、駐車場を設けている。
富籤に当たるお祈りの石碑がある。 



お祭
例大祭 5月16日


 堀之内熊野神社
東京都杉並区堀之内2−6−6 ゼンリン


交通案内
丸の内線東高円寺 南へ20分

祭神
大屋津姫命、五十猛命、抓津姫命

由緒 

 文永四年(1267年)に紀州熊野三山を勧請したことに始まると言う。 室町時代に北条氏綱が上杉朝興を破り、江戸を攻略した際に社殿を修復したと言う。
 神体は木の坐像で、天照大神、八幡、春日の社を按すとの記録がある。
 鎌倉時代から江戸時代には熊野の神々が五十猛命兄妹神とされていたのだろう。熊野樟日神を五十猛命と同一視する説もあり、また熊野大社の摂社に五十猛命兄妹神が祀られているとの話もあり、神々の系譜、神社の御祭神については分からないことが多いのである。

お姿

 境内に縄文遺跡があり、西側には後期古墳時代の遺跡が出ている。太古より人々が居住していたのであろう。
 総欅造の本殿は覆殿により保護されている。これは安政四(1857)年造の銘のある精巧豪華なものであるそうな。
 樫、松、銀杏、楠などの木々が大きい。



お祭
例大祭 9月15日


 尾崎熊野神社
東京都杉並区成田西3−9−5 ゼンリン


交通案内
丸の内線南阿佐ヶ谷 南へ10分

祭神
五十猛命、大屋津比命、抓津比

由緒 

 鎌倉末期、鎌倉から移住してきた武士が紀州熊野権現を勧請したと伝わる。
 源頼義が奥州の乱を鎮めるべくこの地を通った際、空中に奇雲たなびく「前云奇雲の瑞兆」があり、 それによる創建であるとも伝えられている。東国を鎮める際の神として、日本武尊や坂上田村麿も武神としての五十猛命を祀っているが、それにあやかったものだろうか。
 熊野権現と五十猛命兄妹神との関係は今のところ不明である。
お姿

 境内からは縄文早期(井草式)、縄文前期(諸磯式)の土器などが発掘されており、やはり太古から人が住み、聖地とされていたのかもしれない。
 樹齢400年のクロマツの大木が御神木である。

右下は神木



お祭

例大祭 9月14日


 青山熊野神社
東京都渋谷区神宮前2−2−22

交通案内
営団地下鉄銀座線 外苑前駅 西 10分 ゼンリン


祭神
五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命、伊弉冉命
伊弉冉命、速玉男命、事解男命 『東京都神社史料』による。*1

由緒 

 今より三百八十余年前の江戸時代、徳川頼宜郷の紀伊国に封じられた後、其の邸内(現青山御所)に、 領国紀州より熊野神を勤請し、お祭りされていた所、町民の願いによりて、港区立青山中学校の附近に假殿を建設し鎮祭したのが起源である。
 熊野本宮大社の勧請であるが、本宮の祭神には、五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命の名はない。五十猛命を熊野樟日神と同一神と見なす説が有力である。

お姿

 神宮外苑西通りに鎮座、神社の所在がいかにも道路拡幅の妨げになっているような道路のひき方である。 木々は大きくはない。また多くもない。 



お祭
例大祭 9月21日


*1 東京の熊野神社(宇井邦夫著)


 椙山神社
東京都町田市三輪町1618  ゼンリン



交通案内
小田急小田原線柿生駅 南1300m   

祭神
 日本武尊、大物主命、意富斗能地神
 五十猛命の名は消えている。

お姿
  鎮座している山が大和の三輪山に似ていることから、877年勧請されたと伝えられている。御神体は不道明王の鏡との説明がある。 参道は長く上っており、たたずまいの良い神社である。背後の山にも木々が多い。
 この近辺には杉山神社は多いがこの「椙」の字を使っているのはこの社だけである。

 丘上畑地から石製剣形物、有孔物、円板等を出土して、祭祀遺構と考えられている。




お祭
8月28日  風水害、天災の厄除け祭
9月28日  大例祭

 大国魂神社
東京都府中市宮町3-1 地図

鳥居

交通案内
南武線府中本町駅 5分

  

祭神
大國魂大神
配 天下春命、瀬織津比当ス、倉稻魂命、國常立尊、須佐之男命、稻田姫命、大己貴命、八意思金命、知知夫彦命、天之御中主神、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、五十猛命、大日ルメ貴命、太田命

拝殿



由緒  式内社ではないが、武蔵国総社として武蔵一の宮から六の宮までを合祀している。六所宮、六所明神とも呼ばれる。
 西殿
 六の宮 杉山大神(横浜市緑区・杉山神社)
 五の宮 金佐奈大神(埼玉県神川村・金鑽神社)
 四の宮 秩父大神(埼玉県秩父市・秩父神社)
 中殿
 御霊大神
 大国魂大神
 国内諸神
 東殿
 一の宮 小野大神(多摩市一の宮・小野神社)
 二の宮 小河大神(秋川市二宮・小河神社)
 三の宮 氷川大神(大宮市・氷川神社)
 社伝によれば、景行天皇四十一年の創祀で、代々の武蔵国造によって祀られて来たが、大化の改新以後、この地に国府が置かれて国司が奉祀するようになった。従って六社が合祀されたと言う。
 六の宮の杉山大神は神奈川に多数鎮座する杉山神社の内の延喜式内社であるが、当社では緑区の杉山神社としている。延喜式では都筑郡の一座であり、その所在については論争がある。杉山神社は合祀もされて名を消したものもあるが、祭神は五十猛神、日本武尊の二柱が多く、他に忌部氏の祖神や大己貴命などで定まらない。式内社としては緑区八朔町、港北区茅ヶ崎町、同区中川町などの杉山神社を論社とするのが妥当と『日本の神々11』で川口謙二氏は述べている。他に港北区新吉田も有力な論社。

本殿


お姿
 北向きに鎮座し、長い参道を持つ。鳥居の横に府中の名木百選のけやきの巨木がある。境内にはいちょうなど巨木が多い。

大銀杏

けやき

お祭
5月 5日 暗闇祭
 昔、大国魂の神がこの地に来て、ある農家に一夜の宿を乞うた所、今日は妻がお産で家が穢れているからと固辞したが、かまわぬと言われたので、物置に案内してもてなし、お泊めしたのを起源とすると伝わる。

 また暗闇の中の祭り故、男女の野合なども行われたようだ。歌垣を兼ねたのだろう。

 熊野神社
東京都西多摩郡奥多摩町小丹波473 ゼンリン

鳥居


交通案内
JR青梅奥多摩線 古里駅 北300m



祭神
伊邪那美乃命、速玉乃男乃命、事解乃乃命
 配祀 五十猛命
摂社
 丹生神社「丹生都比賣乃命」
 八坂神社「合祀 速須佐乃男命」
 豊受大神「合祀)豐受姫大神」
 天照大神「合祀 天照大日女ルメ命」
 雨降神社「合祀 大國主命」
 八坂八幡神社「合祀 譽田別命、武内宿禰命」

拝殿



由緒
仁寿三年(853)の勧請という。
 安藤精一先生はその著『郷土奥多摩 第124号』で、「鎮座起源不詳、明治維新前は熊野大権現と称し、背後に山頂が二等辺三角形のズマド山(690m) が控え、神霊の鎮座に相応しい形となって、祭祀の古きを語っている。境内社は九社を数えるが、内一社、日枝大神は小丹波村のうち、多摩川を挟んで対岸、寸岩集落17戸の鎮守であったが、明治43年移転遷座したものである。境内入り口の石階の上瑞瑯の中央階下に瑞瑯門66尺幅が参道となって、階上は地上79cmの高さが舞台となっていて、農村舞台と して東京都民俗文化財に指定されている。又摂社群と並んで民俗信仰の陰陽石が祀られ、出産時の事例が多数伝えられている。 境内は老杉が多くズマド山を背面に神域に相応しい景観を見せている。」と書かれている。
 

本殿


お姿
 農村舞台は茅葺楼門建の入母屋造りで、舞台下を参道とする特殊な構造の農村舞台として、昭和50年東京都の有形民俗文化財に指定された。 よこから眺めると神殿の面影である。

 古里駅からは登り道であり、神社の背後は山である。

 摂社の中に丹生神社があるが、当社の南約700mに丹生神社が鎮座しており、熊野、五十猛、丹生と紀州を強く思わせる地域であるが、地名は小丹波である。丹波と多摩は語源を同じくし、古代には玉を拾うことが出来たと『地名辞書』にはある。

農村舞台

産立石


お祭
例祭  4月 19日 春祭

参考 山太郎のブログ
武蔵の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ