古代史と大屋毘古神、五十猛命の原風景
神と呼ばれる神となった。
| 出雲風土記には素盞嗚尊の大蛇退治の説話は出ていない。出雲にはなかった説話である。出雲でのこの伝承は16世紀頃でも僅かで、18世紀になると増えてくると言う。
記紀神話の逆流である。伝承地が作り上げられていったようである。
神社の由緒の説明も記紀神話から取られたと思われるものが多いが、要するに伝承が途絶えているからである。葛城の古社中には、鳥越憲三郎先生の著書から由緒を説明している所もある。 基本的には、途絶えてしまい、また自社の神が重要な役割を担っている説を取り入れる人間心理が働いていると言うことだ。 |
神
神である。この神は出雲各地で居候神として祀られていた。天保四年に千家俊信の「出雲国式社考」で、この神を素盞嗚尊の御子の五十猛命と考証している。後の印達神や射楯神、伊達神となっていった。
神」の名で渡しの神・武勇神として神功皇后が祀ったと記されている。