![]() 養父市養父町市場 養父神社 神奈備に戻る |
![]() 兵庫県養父市養父町市場宮ノ谷827-3 mapfan
![]() 五社神社 ![]()
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![]() 兵庫県養父市大屋町宮本字高尾481 mapfan
![]() 交通案内
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御井神と大屋彦神 御井神は『古事記』によれば、大国主命と八上比売との間の子で、八上比売は大国主命の適妻須世理毘売を畏れて、生んだ子を木の俣に刺したので、木俣の神とも、御井の神とも言うとある。
V字型の場所は神の出現の場所であり、また井もそうであるとの注が武田祐吉氏によってなされている。 大国主命が根の堅州国に逃れる際、木の国の大屋彦神の御所に来て、大屋彦神が木の俣より逃がしている物語が『古事記』に記載されている。 祭神に大屋彦神が登場するのはこの辺りの話だろうか。それならば、更に大国主命、須世理毘売、八上比売も祭神に入っているのが自然だと思う。
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広場は大きい焚き火の跡が残っている。正月以来、掃除はされていないようだ。この立地では年寄りは簡単には来られない。
もちろん、車は無理。
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![]() 兵庫県養父市関宮町三宅 mapion ![]() 交通案内
創立時点では大屋彦命(兵庫県神社誌)
ここ養父郡の養父神社には大屋彦神亦の名五十猛命は牛取引の神として祀られていたことが『延喜式』に見える。
また、当神社の北西方向にあたる妙見山に鎮座する三重の塔で有名な名草神社の創建に紀氏がかかわり、五十猛命を祭神とするとの説もあるようで、
五十猛命の色濃い地域である。 関宮町から琴引峠を越えると大屋町があり、やはり大屋彦神を祭神とする説のある御井神社が鎮座している。
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![]() 兵庫県養父市八鹿町石原字妙見1755-6 妙見山中腹 google ![]()
祭神
『但馬式社考』 ![]() 由緒
平安末期より祭神中に星の神北辰とされる天御中主神を以て、神仏習合の妙見信仰の場となり、両部神道の典型を構成した。本地垂迹説である。 桁行五間、梁間二間、割拝殿入母屋造檜皮葺 棟札に元禄元年(1688)五月から同二年 六月にかけて建立されたと伝えている。本殿 と庭をへだてて相対し、がけの淵に立っている。 柱は円柱。組物は出組で軒支輪をつけている。 中央間馬道の上部には大虹梁をかけ、中備えに 蟇股を置いている。組物、木鼻などは古調で見 るべきものがあり、保存も完好である。 江戸時代中期の代表的な割拝殿として貴重な遺 構である。 兵庫県教育委員会 ![]() ![]() お姿
三間三重塔婆を過ぎると幅の広い石段が現れる。大きい鳥居の向こうに拝殿が見える。 石段を登りきると本殿が登場する。息を呑むお姿。 参道には至る所に大きい杉の木が生え、恐らく雨の多い山のように思われる。紀伊国名草郡出身者なら、このような山を好むのは判るような気がする。 ![]() ![]()
![]() お祭 例祭 7月18日 ![]() ![]() 参考 |
![]() 兵庫県加東市天神601 ![]() 交通案内
『播磨国風土記』賀毛(かも)の郡 端鹿(はしか)の里から 『播磨国風土記』の上記の文を読んだ際、五十猛命が祀られている神社があるはずと探したが直接には出てこなかった。 一之宮神社、祭神は素盞嗚尊、おそらくは当社であろうと見当をつけていたところ、『東条町史』には「五十猛命が木の実を播いたとあるので、あるいは端鹿の里に現れたのはこの神かとも思われる。」 と記していた。同書によれば、一之宮神社の祭神とは想定していないようだが、『風土記』に「今もその神が鎮座している。」 と出ているので、当神社をして、五十猛命を祀るものとした。 ![]()
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![]() 姫路市今宿8its-mo 神社正門 ![]()
交通 姫新線播磨高岡駅 北 800m
社殿 ![]()
式内社。鎮座地は蛤山の南端中腹。『播磨国風土記』の、「餝磨の郡・巨智の里(こち)」の条に、草上の村・大立の丘、右は巨智らが、始めてこの村に居住した。
だからこれによって名とした。 『風土記』から千年後に書かれた『播磨鑑』では應神天皇、仲哀天皇の二神を式内の神としていると『日本の神々2』に記されている。 風土記の地名説話の「臭いから草」では草に失礼であり、『万葉集』巻九ー一七八四の
神社の社伝によれば、始め八丈岩山にあったのを、天長三年(826年)に蛤山に遷し、社殿を創祀したという。 確かに八丈岩山頂上には高丘神社舊地の石碑が立てられているが、蛤山の現社地は、巨大な磐座が屹立しており、古代からの聖地であったはずで、『風土記』の記事では八丈岩山が多く取り上げられており、蛤山は出てこないことが社伝に反映しているのであろうと思われる。 左が本殿、中央に桜、右に磐座 ![]()
蛤山は振袖山ともよばれる。東からながめると南北に長い山で、振り袖を連想したのだろうか。木々が少なく岩がむき出している様子が見えるが、往古には木々も多く、紅葉したものをながめたのであろうか。 神社は岩盤の上に鎮座しているようで、生石神社の石造物を切り出す以前のような雰囲気である。 屹立している磐座は幾つかあり、鳥居と玉垣で囲まれている。 蛤山は崩れやすいのか、崩れたものが下部の住宅などの流れ込まない防止工事がなされている。 他の方法はないのだろうか。 磐座 ![]()
兵庫県神社誌(昭和十三年) |
![]() 因達神山:姫路市新在家本町、高岡神社:姫路市田寺 its-mo高岡神社 高岡神社鳥居 ![]()
交通 姫路県立大方面行きバス 新在家下車北へ400mで八丈岩山登り口、そこから山裾を西に回り込み1kmで神社
式内県社高岳神社分社の標識が境内にあるように、南西2kmの蛤山の南端に鎮座する高丘神社の分社である。 社殿は西向き、八丈岩山の北部の山頂を遥拝する形になっている。 しかし高岳神社の旧社地碑は南側の山頂部に置かれている。諸説があるのかも知れない。 高岡神社社殿 遠景は因達神山 ![]() お祭り
山頂の祠と三つ葉ツツジ ![]() 『播磨国風土記』の中の因達神山 『播磨国風土記』の中の因達の里 『射楯兵主神社由緒』の中の因達神山
『伊和神社由緒』の中の因達神山
大汝命と火明命の話は実に興味深いが、後にこれらの神々が因達神山に鎮座したと言う話は記載されていない。
それよりも、伊和神社、射達兵主神社の由緒と『風土記』での「伊太 もうひとつ面白いのは、因達神山と蛤山の高丘神社との中間点に行矢射達兵主神社が鎮座しており、この神社は式内社の射達兵主神社の論社でもある。 そうすると高丘神社や分社の高岡神社の祭神は五十猛命であったのかも知れない。
山頂の磐座と高岳神社舊社地の石碑 ![]() 因達神山の風景 登山道は狭く急である。それほど濃くはないが赤土が目立つ。 木々は大きくはなく、雑木林の雰囲気で、三つ葉ツツジ、山桜、木々の新芽の黄緑、新葉の赤い色など、春の山の彩りが美しい丘である。 頂上からは姫路城や蛤山、広峯山など『風土記』縁の山々が望める。 山頂とその付近には大きい岩が露出しており、神山にふさわしい。
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![]() 神戸市西区押部谷町押部496 ゼンリン 交通案内
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![]() 神戸市須磨区権現町1-3-2 ゼンリン ![]() 交通案内
祭神
![]() 由緒
熊野からの勧請の神社の中に、五十猛命が祭神になっている神社を見かける。例えば大和広陵郡の熊野三柱神社である。 証誠神社は福原に都した平家一門の信仰厚かったとのことである。 お姿
かって、樹齢1000年近い木(杉?)の大木があり、根本の穴で子供が3〜4人入れたとのことである。枯れてしまっている。紀伊の伊太祁曽神社も戦後同じように杉が枯れている。 戦後の風潮にたいしての五十猛命がお怒りを示されたのであろう。 楠木が大きい。遠くからこの神社を見ると木々が盛り上がっている。程良い間隔で楠木などが植えられている。 本殿は銅葺流れ造(権現造)である。 ![]() お祭 春祭 5月19日、20日 |
![]() 神戸市須磨区南町 3−2−11 ゼンリン
交通案内
祭神
![]() 由緒
かって境内に三十三間の射場を持ち、旧暦二月一日の「御弓の当」(おゆみのとう)なる儀式を行っていた。 お姿
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お祭 春季大祭 4月 3日 この近辺では最も早いお祭りである。 |
![]() 姫路市広嶺山52 its-mo
本殿 ![]()
山門 ![]()
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![]() 姫路市総社本町190 its-mo
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祭神
![]() ![]() 由緒
鎌谷木三次氏は因達里を因達北条と見て、楯楯神を航海の安全を司る住吉系の神とし、また市川の河口に近い阿成(あなせ)を大和穴師の兵主神社の神戸の地と比定し、そこへ穴師坐兵主神社が勧請されたとして、因達南条としている。
この因達南条の南側に現在は「大己貴命」を祭神としている早川神社「兵主神」が鎮座している。 社記によれば、射楯神は欽明天皇二十五年に伊和里の水尾山(姫路市山野井町)に祀られたが、延暦六(787)年に坂上田村麿によって兵主神を小野江に遷し、後に射楯神を合祀したのが創祀とする。 年表形式(社のしおりから) ![]() 陸奥国色麻郡四釜郷の伊達神社は、当社からの勧請である。イタテの名を持つ式内社は他には出雲の韓国伊太氏神社三座、播磨国揖保郡の中臣印達神社、丹波国桑田郡に伊達神社、紀伊国名草郡に伊達神社、伊豆国賀茂郡に伊大氏和気神社と十二社が鎮座している。 日本の神々の神格を一つに決めてしまうのは至難の業だが、 吉野裕氏は「東洋文庫の風土記」の中で「松岡静雄氏:海人族の祀った神。松村武雄氏:射立ての意で山の狩猟者の行為との関係説。」を紹介され、ご自身は斎楯の神として水軍の祀った神とされている。
また、志賀剛氏は「湯立て」神、石塚尊俊氏は「射立」で「矢になって降臨された神」とされる。 ![]() お姿
![]() お祭 夏祭 7月10,11日 夏祭
参考文献 日本の神々2(浅田芳朗)白水社
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![]() 姫路市辻井4−4−3 ゼンリン
祭神
由緒
玄松子さんから頂いた情報を挿入させていただきます。
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射楯兵主神社のしおりによれば、兵主神の軌跡を追いかけると、飾磨郡伊和里、水尾山、小野庄とどうも行矢方面は現れないようだ。射楯神は飾磨郡因達里、これは姫路市以東、最初は八丈岩山とされる、その後遷座したのかどうかは不明であるが、梛本に合祀されて現在地となっており、行矢へ現れたとすれば、射楯神単独祭祀の頃ではないか。従って、行矢は論社から消えたのであろう。
![]() お姿
![]() お祭 夏季大祭 7月21日 |
![]() 兵庫県たつの市龍野町宮脇287 its-mo ![]() ![]()
祭神
![]() 由緒
神社の由緒は『兵庫県神社誌』によると以下の通り。 現在の靈神社の祭神は四位少将水尾民部橘朝臣以豊守神霊となっている。 ![]()
![]() お姿
お祭 例祭 10月15日 参考文献 平成祭礼データ、兵庫県神社誌、古代播磨の地名は語る 歴史地名辞典
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![]() 兵庫県たつの市揖保町中臣1360 ゼンリン
本殿 ![]()
拝殿 ![]()
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![]() 姫路市別所町佐土字北出口499 its-mo 鳥居 ![]()
交通 JR山陽本線御着駅 北北東1500m
『白髭神社縁起』によれば、天正元年(1573)増位山に拠点を持っていた黒田官兵衛の叔父が攻め込まれて寺社は焼失した。この時、叔父は衆徒と共に佐土村に退去、同時に鎮守神を移転したと云われる。それが別所町佐土字北出口の猿田彦神社で、その後当地大村山麓に遷座したと云う。
また、民間伝説では、神功皇后が半島征伐に行く途中、的形の沖にさしかかった時に波が荒れて思案の最中に波間から一人の老人が現れ「このまま行けば必ず遭難する。海が穏やかになってから出発せよ。」とのお告げがあったと云う。その老人を祀ったのが当白髭神社と云う。 絵馬殿と大村山頂上 ![]()
佐土のバス停から北へ20分ほど歩く。木材団地を越して東側の山の中腹に鎮座する。南面。神社の背後の山は禿げ山であり、九州の豊国の香春神社を想起させる。境内に目立った磐は置かれていないが、磐座信仰がベースにあったような気がする。
絵馬殿 本殿 ![]()
『姫路の神社』神戸新聞総合出版センター 『兵庫県神社誌』(昭和十三年) 『平成祭礼CD』神社本庁 |
![]() 兵庫県川辺郡猪名川町柏原字宮脇11 ゼンリン
覆殿の中の本殿 ![]() 八将神社 ![]()
神社風景 ![]()
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![]() 兵庫県川辺郡猪名川町杉生(スキウ)字宮ノ下1 ゼンリン
摂社群 八将神社は特定できなかった。 ![]() 江戸初期の造営の本殿 ![]()
鳥居 ![]()
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![]() 兵庫県川辺郡猪名川町清水字北谷41 ゼンリン 神社風景 ![]() 交通案内
清水村の氏神は 天神、山王、大歳。産土は天満。とされる。 氏神とは祖神もしくは氏の守護神と見て良い。氏族が入り交じり住むようになると、神社は氏族ではなく地域を媒介として住民と接するようになり、自分の生まれた土地を守護する産土神となっていった。 また、地域の人々の生死を司るともされる。 金刀比羅神社に合祀されているようである。こうなると由緒は霧の彼方となってしまう。
特に兵庫県は神社数に比べて神職数が少なく、一人の神職が100社を掛け持ちと言う事態である。 食えないのだそうだが、こんな事では、これからの時代、地域の神社の存続、住民の崇敬の心すら薄くなっていかないか、と、心配になる。
神社風景 ![]()
本殿 ![]()
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![]() 兵庫県川辺郡猪名川町笹尾(ささう)字掛谷18 ゼンリン
なお八王子をそれぞれ神の名をつけて祠を作ったと言う素直な解釈もできる。 銀銅などの金属の精錬には多量の木炭を要し、この為にはその重量の一桁上の木材を伐採した。日本人はその後の植林を怠らなかったと言う。
これは大陸や半島の人々とは少々違うスピリットを持っていると言うべきであろう。 植林を行い、植林の神々を尊ぶ国として今後とも子々孫々に伝えていくべき「この国のかたち」のひとつである。
摂社群と覆殿内の本殿 ![]() 舞台 この地域の神社の造りはこの様になっている。 ![]()
神社風景 ![]()
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![]() 兵庫県川辺郡猪名川町北田原字上山31 nifty ![]()
摂社 ![]()
当地に高皇産霊神を祭る当社が鎮座した謂われや時期は不明。 摂社に九頭社が鎮座、亦の名を渡津社と言い、祭神は五十猛神であり、別名を渡津神と言うとある。佐渡に式内の渡津神社が鎮座、祭神を五十猛神としており、『播磨国風土記』飾磨郡因達里の条に、「息長帯比売命が韓国を平定しようと思って御渡海なされた時、御船前の伊太氏の神がこの処においでになる。」と言われたとあり、五十猛神は渡津神として古くから崇拝されていたものと思われる。 九頭社と渡津社との関連はよくわからない。 ![]()
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『平成祭礼CD』『社頭掲示』 |
![]() 兵庫県川西市黒川字口滝谷 ゼンリン
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おそらくは、一時合祀されていたのであろうが、再度分祀されたのではないか、と言うことであるが、記録にはないようである。 一時でも祀られていたのであれば、神霊は残っているはず。大神宮社とおぼしき社殿は?」「現在改修中のあれだよ。」「五十猛命に挨拶をしてこよう。」 ところで荒熊天王社なる小祠が本殿前に鎮座していた。「これは素盞嗚尊ですか?」「そうだともちがうとも言えないなー」「天王は牛頭天王以外にあるんですかね」 「祭神名は残っていないんだよ、荒熊天王の社の神としかいいようがない。神様とは自らの心のなかに坐すもので、実体がないもの、心から祈ればいいんですよ。」 「・・・」 荒熊天王、熊野と素盞嗚尊、その荒魂すなわち新魂、さすれば五十猛命と小生ならすぐにつながるんだが、宮司さんの言われたとおりなのでしょう。
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![]() 兵庫県川西市山原字八岡19 nifty ![]()
摂社 ![]()
現在でも、厄払い祈願や七五三詣りの祈願が盛んな神社。 ![]()
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『平成祭礼CD』『社頭掲示』 |
![]() 兵庫県三田市香下字岸崎1613 ゼンリン
神社 ![]()
羽束山 ![]()
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![]() 兵庫県姫路市一宮町須行名(すぎょうめ) mapfan ![]()
祭神
![]() 伊和神社御由緒略記 御社格 御神階 神封 奉幣 御神領 御造営 おもな行事 省略 境内 宝物 鶴石 境内末社 省略 旧境外末社 ![]() 由緒
揖保川沿いは古代からの交通の要路でもあり、一宮町には縄文時代早期から一連の土器が出土している。弥生時代にはいって有力な支配者も登場したのであろうが、伊和神社の真西にあたる地点の山腹から銅鐸が出土している。一宮と銅鐸、谷川健一さんの『青銅の神の足跡』を思い出すが、この神を祀った氏族は鍛冶氏族でもあった証と思われる。 当社の創祀の伝承に鶴が登場する。鍛冶氏族は鳥の伝承を持つというが、銅鐸出土とともに興味深い。 『日本の神々2』伊和神社では祭祀氏族の伊和君一族の居住地と伊和大神の伝承地とが重なるとしており、そこへかなり早い時期に中央の勢力が及んだと見ている。
戦前刊行の『兵庫県神社誌』には、伊和神社の摂社に射楯兵主神社が記載されており、祭神を射楯神と兵主神としている。探してみたが見当たらない、また神社で頂いた『御由緒略記』にも記載はない。社務所でこれについて質問をさせていただいた。「(姫路総社の)射楯兵主神社は当社から分遷したものであり、当社は射楯兵主神社の元社です。射楯は偉大・威厳、兵主は兵庫の主と言うことです。但し、悠久の昔のことですから、はっきりしたことはわかりません。」との事であった。 ![]() 『播磨国風土記』に登場する伊和大神 餝磨郡・伊和の里(しかま いわ)伊和部とよぶのは、積幡の郡の伊和君らの族人がやってきてここに住んだ。だから伊和部とよぶ。手苅丘とよぶわけは、近い国の神がここに来て、手で草を苅って食薦とした。だから手苅とよぶ。あるいは「韓人たちが始めて来たとき、鎌を使用することがわからず、素手で稲を刈ったからと言う。
【3.国占め】揖保郡・香山の里(いひぼ かぐやま)鹿来墓とよぶわけは、伊和大神が国を占めなされた時、鹿が来て山の峰にたった。山の峰は墓の形に似ていた。
【3.国占め】揖保郡・阿豆の村 伊和大神が巡幸なされた時、「ああ 胸が熱い」いって、衣の紐を引きちぎった。だから阿豆という。
【7.大汝命】揖保郡・御橋山 大汝命が俵を積んで橋(梯子)をお立てになった。
【3.国占め】揖保郡・林田の里(元の名は談奈志(いはなし))談奈志と称するわけは、伊和大神が国をお占めなされたとき、御志(みしるし)をここに突き立てられると、それからついに楡(いはなし)の樹が生えた。
【5.大神の御子】揖保郡・林田の里・伊勢野 山の峰においでになる神は伊和大神のみ子の伊勢都比古命、伊勢都比売命である。
【7.大汝命】揖保郡・林田の里・稲種山 大汝命と少日子根命の二柱の神が神前の郡の 【6.天日槍命との闘争】揖保郡・揖保の里 粒丘とよぶわけは、天日槍命が韓国から渡って来て宇頭川下流の川口に着いて、宿所を葦原志挙乎命にお乞になって申されるには、「汝はこの国の主たる方である。私の泊まるところを与えてほしい」と。
【5.大神の御子】揖保郡・出水の里(いづみ)・美奈志川(みなし) 伊和大神のみ子石龍比古命と妻の妹石龍比売命と二人の神が、水争いをしている。
【2.国占め失敗】讃容の郡(さよう) (伊和)大神妹背二柱の神がおのおの先を争って国を占められた。妹は玉津日女命で、賛用都比売命と名付けられた。
【2.国占め失敗】讃容の郡・讃容の里・吉川(えがは)(もとの名は玉落川) (伊和)大神の玉がこの川に落ちた。
【1.出雲から播磨へ】讃容の郡・柏原の里(かしはばら)・筌戸(うへと)(大神)が出雲の国から来られた時、嶋の村の岡をもって呉床としてすわって、筌(やな)をこの川に仕掛けた。魚は入らず、鹿が入った。食べようとしたが口に入らず、落ちたので、ここを去った。
【5.大神の御子】讃容の郡・雲濃の里(うぬ)(伊和)大神のみ子玉足日子。玉足比売のお生みになった子、大石命。
【4.国占め完了】穴禾の郡(しさわ) 伊和大神が国を作り堅め了えられてから後、ここの山川谷峰を境界として定めるため、御巡幸なされた。
【4.国占め完了】穴禾の郡・比治の里(ひぢ)・宇波良の村(うはら) 葦原志挙乎命が国を占められた時、みことのりして「この地は小さく狭くまるで室戸のようだと仰せられた。だから表戸という。
【3.国占め】穴禾の郡・比治の里・比良美の村(ひらみ) (伊和)大神の褶(平帯)がこの村に落ちた。
【3.国占め】穴禾の郡・比治の里・庭音の村(にはと)(もとの名は庭酒(にはき))(大神)の御乾飯が濡れてかびが生えた。すなわち酒を醸させ、それを庭酒として献って酒宴をした。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・比治の里・奪谷(うばひだに) 葦原志挙乎命と天日槍命の二人の神がこの谷を奪い合った。
【3.国占め】穴禾の郡・比治の里・稲春の岑(いなつき) (伊和)大神がこの岑で、稲を春かせた。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・伊奈加川(いなか) 葦原志挙乎命が天日槍命と競争して国を占められたとき、嘶く馬があって、この川で出会った。
【3.国占め】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・土間の村(ひじま) 神の衣が土(泥)の上に付いた。
【3.国占め】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・敷草の村(しきくさ) 草を敷いてかみの御座所とした。
【3.国占め】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・飯戸の阜(いひべノおか)
【2.国占め失敗】穴禾の郡・安師の里(あなし)(もとの奈は酒加(すか)の里) (伊和)大神がここで冫食(飲食)をなされた。だから須加という。
伊和の大神は安師比売神を娶ろうとして妻問いされた。その時この女かみが固く辞退して許さない。そこで大神は大いに怒って、石を以て川の源を塞きとめた。 【9.その他】穴禾の郡・石作の里(いしつくり)(もとの名は伊和) 石作と名づけるわけは、石作首らがこの村に住んでいる。
【5.大神の御子】穴禾の郡・石作の里・阿和賀山(あわかやま) 伊和大神の妹の阿和加比売命がこの山においでになる。
【3.国占め】穴禾の郡・石作の里・伊加麻川 (伊和)大神が国を占められたとき、烏賊がこの川にあった。
【3.国占め】穴禾の郡・雲箇の里(うるか) (伊和)大神の妻の許乃波奈佐久夜比売命は、その容姿が美麗しかった。だたか宇留加という。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・雲箇の里・波加の村(はか) 国を占めなされた時、天日槍命が先にこの処に来、伊和大神はその後でここに来られた。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・御方の里(みかた) 葦原志挙乎命は天日槍命と黒土の志爾蒿(しにだけ)にお行きになり、お互いにそれぞれ黒葛を三条足に着けて投げあいた。その時葦原志挙乎命の黒葛は一条は但馬の気多の郡に落ち、一条は夜夫の郡に落ち、一条はこの村に落ちた。天日槍命の黒葛は全て但馬の国に落ちた。
【4.国占め完了】穴禾の郡・御方の里・伊和の村(もとの名は神酒である) (伊和)大神が酒をこの村で醸したもうた。また(伊和)大神は国作りを終えてから後、「於和」と仰せられた。
【5.大神の御子】神前の郡(かむさき) 伊和大神のみ子の建石敷命は山使の村の神前においでになる。
【7.大汝命】神前の郡・ 【6.天日槍命との闘争】神前の郡・多駝の里(ただ)・粳岡(ぬかおか) 伊和大神と天日桙命の二人の神がおのおの軍兵を発して互いに戦った。
【5.大神の御子】託賀の郡(たか)・黒田の里(くろだ) 宗形の大神奥津島比売命が伊和大神のみ子をお孕みになり、この山まで来て仰せられた。
【7.大汝命】賀毛の郡(かも)・下鴨の里 大汝命が碓を造って稲を春いた処は碓居谷とよび、箕を置いた処は箕谷とよび、酒屋を造った処は酒屋谷とよぶ。
【7.大汝命】賀毛の郡・飯盛嵩 大汝命の御飯をこの嵩で盛った。
【7.大汝命】賀毛の郡・粳岡(ぬかおか) 大汝命が稲を下鴨の村で春かせると、粳が散ってこの岡に飛んだ。
【8.五十猛命】賀毛の郡・端鹿の里(はしか) 昔、神がもろもろの村に菓子(このみ:木の種子)を頒けたが、この村まで来ると足りなくなった。
![]() お姿
伊和神社の鎮座する盆地全体が一つの聖域に見えるのは先の山々の存在であるが、また神社の神域は素晴らしい社叢となっており、その広さもさることながら鬱蒼としていないが豊かさを感じさせる木々の香りが心地よい。南側に参道があり、森の中を通り抜けるのであるが、29号線を走る車の音が聞こえてくるのだが、何ともこぼれ日の射し込む心に響くとなっている。是非おすすめしたい。 お祭 春季大祭・弁天祭 4月10日に近い日曜日
参考文献 |
![]() 姫路市林田町八幡 mapfan ![]() 交通案内
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『風土記』地名説話集でもあるが、『播磨風土記』では伊和大神と品太天皇の話が多い。国津神と天津神とが交叉して地名説話に登場しているのであるが、この林田の八幡神社の祭神もいわゆる八幡関係の三神に武内宿禰を配した天津神系と五十猛命、大山咋命の国津神系が配されている。所が前に紹介した姫路市教育委員会の社頭掲示には祭神の名には主祭神ではない五十猛命は記されていない。これでは只の八幡宮と思われてしまう。 その昔の開拓神を配しているのがこの神社の値打ちだと思うので、是非五十猛命の名を入れてほしいものだ。 祭礼に中臣印達祭がある。いわれは承知していないが、中臣印達神社の印達神とは五十猛命とみなされており、配祀祭神の五十猛命とこの祭礼とは無関係ではないと思われる。 ![]()
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![]() 兵庫県赤穂郡上郡町山野里 its-mo高嶺神社山宮、高嶺神社里宮 ![]() 交通案内
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